和歌山県高野町・記憶の中の高野山

“時”は生きた記憶。その先には無い。

dscf5336▲記憶をたどり、こんなにもカラフルだったのだと知る。

ついに今月も最終日。時間は恐ろしく足が速く、そして休むことなく進んでいく持久力を備えている。まっ、そんなこと今更でしたね^^;。だけど時間は記憶として記録することができます。あっ、それも今更か(=^・^=;)。

さて11月も今日で最後。そして今年も残すところ1カ月となります。そこで去年の今日、ピジョンズ・パーク(P.P)はどこで何をしてたのか、振り返ってみると、高野山を歩いていたのを思い出しました。

古寺がひしめく聖域には、静寂ではなく多くの信者や海外からの観光客の賑わいが満ちていました。そして風景は、晩秋の色に染まっておりました。高野山でかいだ森の香りの思い出していて、(P.P)は腑に落ちることがありました。

生きるということは“時”の流れに乗ること。過ぎ去って行くのを見送っているのではないということです。“時”は人生の後に生まれるもので、歩んできた道が“時”なのだ。だから、自分が居る場所より先に“時”は無い!のです。一方で、“時”は記憶し振り返ることができる。思い出を、いとおしく感じるのは、きっとそのためなのです。

今日のポッポニュースは、とりとめもないことを綴ってしまいました。去年の画ですが、よろしければお楽しみください。

dscf5187▲また、参拝させていただきたいと思う。

 

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