鳴門市大麻町池谷・土御門天皇の火葬塚と阿波神社。

なぜ阿波をお選びになったのか。

▲土御門天皇火葬塚。宮内庁管轄で一般人は入れません。(P.P)も遠くからお参りさせていただきました。

流刑地とはいえ、きっと、お過ごしになり易かったのに違いありません。ネットの解説をあれこれ覗いてみると、そんなふうに思えたのです。

いまから800年ほど昔。鎌倉を拠点に日本を支配したのは北条一族でした。鎌倉時代と呼ばれた当時、武家政治から権力を奪還しようと試みたのが後鳥羽上皇でした。いわゆる承久(←読めますか?)の乱。結局のところ、作戦は失敗に終わり、後鳥羽上皇は島根県の隠岐の島に幽閉されることになりました。

このとき乱に荷担はしていなかったものの、父の流刑を哀しみ、自らも処罰を求めたのが土御門天皇だった。その行き先は最初、土佐国。のちに、ふるさと徳島「阿波国」に移られたそうです。より京の都に近かったからというのが理由だそうですが、当時の幕府の厚遇もあって暮らしやすかったのだとピジョンズ・パーク(P.P)は想像を膨らませます。

そうして、当地で崩御された土御門天皇が荼毘(←読めますか?)にふされたのが鳴門市大麻町池谷。ここに火葬塚が残され、そして土御門天皇を祀る阿波神社がひっそりと守られています。

そうと知って、(P.P)は謹んでお参りさせていただいたのです。

▲火葬塚の周囲は濠。

▲橋は中央でわかれ、野生動物たちも入りにくくなっています。手前には柵も。

▲火葬塚に隣接する阿波神社。(P.P)は、お呼びいただいたことに感謝しました。

▲土御門天皇を祭神とする阿波神社。目立たない場所にあり、参拝者は多くはありませんが、とても立派な造りと風格を備えているのです。

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